夢見るつばめ vol.6

山田錦、本州北限への挑戦

"誰かがやるのを待つ前に自分がやろう"
酒米の栽培という初めての挑戦に
町中がわくわくしています。

ここ十数年、誰も挑戦してこなかったなら、不可能が可能に変わってるかも。

日本酒の原料はお米。その中でも、酒造好適米と言われる酒造りに向いたお米、酒米がある。

そして酒米の中でも王様と呼ばれているのが「山田錦」だ。

「日本酒好きじゃなくても知っているくらい有名な品種だから、酒米の栽培に挑戦するなら絶対山田錦がいいって決めてました。」

紫波町生まれの吉田辰巳さんは、高校卒業後に千葉県の鉄鋼関連の会社へ就職。10年ほど勤めたが、両親が高齢になり、長男ということもあってUターンを決意。親元就農で稲作と和牛繁殖に取り組んでいる。紫波町に戻り程なくして、ふるさとが「酒のまち」として舵を切ろうとしていることを知ったのだった。

紫波町が描く、酒のまちの未来を知って

「わくわくしましたね。とにかく。無類の酒好き、ってわけじゃないですが、酒は無限に広がりますからね。興味があって担当職員に話を聞いたら、「紫波町で酒米栽培が広まったらいいな」と言っていたので、誰かがやるのを待つ前に自分がやろうと思ったわけです。

山田錦は主に兵庫県で栽培されている品種で、寒さや風に弱いため、昔から東北での栽培は難しいと言われてきた。最近では北海道での栽培の話も聞くが、本州で山田錦栽培の最北の地(北限)は一関だという。(2022年4月時点)

「山田錦の本州での北限が紫波町に変わるとしたら、それってすごいでしょう?「酒のまち」構想が進むことで、酒米の需要が伸びて、農家の増収による雇用者増、そして新規就農者増につながって仲間が増えるはず。不安に思うことはなにもないです。」

そう語る吉田さんの目は、言葉の通りのまっすぐな輝きで、一点の曇りもない。

こんな風になったらいいなという未来を描けば、今度はそれに共感してくれて一緒に未来に進もうとする仲間が現れるのが紫波町のすごいところ。吉田さんは彗星のごとく現れ、瞬く間に山田錦の栽培チャレンジをスタートさせた。ここ何十年、誰も挑戦しなかったことを逆手に取っての大一番!

つば森編集部は、このチャレンジの一部始終を見ていたくて種まきからお邪魔した。

期待を込めながら種籾(たねもみ)を撒くお父様
 

ご家族の反応は?

「まず最初に親父に相談しました。酒米を作りたいって。そしたら、やりたいならやってみればいいって言われました。親父のそういうところは本当に尊敬してますね」

普段とは違う品種の栽培、それもやったことのない酒米。

分からないことは調べて、聞いて、毎日がチャレンジの吉田さん。ご家族のご理解と支える力の大きさは、どんなことも乗り越えられるパワーがある。吉田さんの笑顔がそれを伝えていた。

嬉しそうに田植えをする吉田さん

奥に見える東根山もほほ笑んでいるよう。

真っすぐな願いを込めて田植え作業はどんどん進んでいく
その光景をほほ笑みながら見守る役場職員

田植えから2か月ほど経過して、田んぼの様子を見に行くと、青々と立派に育った苗が風に揺れて気持ちよさそう!

町中の人が吉田さんの挑戦にわくわくしている

取材中、ご近所さんが不思議そうに近寄って来た。「りっぱなもんだねぇ」と深く頷きながら品種や育て方、収穫の時期などを質問していた。さりげなく気になっている感じが、とても紫波町らしくてほのぼのした。

ご近所さんからの質問にひとつひとつ答えていく吉田さん

吉田さんの夢は何ですか?

私の夢は、この地の農業景観を残すことです。100年後もこの地で農業ができるように今は働いています。酒のまちのビジョンに深く共感したのは、ふるさとの風景を残したいという思いが一緒だったからですね。どの職種の大人もきっと同じことを思ってる。このまちをずっとずっと残していくために、自分にできることで応援する。そういう人が集まって紫波町は出来ていますから。あ、もちろん直近の夢は、我が家で作った酒米で醸したお酒を関わっていただいたみんなで飲むことです!(笑)」

苗の成長を見ていく吉田さん

「地元の水で、地元の土で、ここで生まれ育った僕らがこの場所の未来のために酒を造る。だから、僕らが作る意味があるんだと思う。そういう価値はワインだけじゃなくて日本酒にもだんだん浸透してきましたが、それでもまだまだ伸びしろがありますから。そのお酒がおいしいって思うのは、自分が生まれ育った同じ場所で育ったお米を、自分が育った同じ水で仕込むからなんだと思うんです」

3人のお子さんへの想い

稲を丁寧にお世話する吉田さんを見て、3人のお子さんへの想いも伺ってみた。

「透き通った心、たくましい心で真っすぐに育ってほしい。凛と咲く花のように可憐で力強く!自分の夢を見付けてがんばってくれたらうれしいですね。」

吉田さん自身がそうであるように、お子さん達はお父さんの背中を見て真っすぐ、力強く、夢を見付け、そして実現していくんだろうな。

すくすく育って!と山田錦と吉田家の子どもたちにエールを送り、これからも田んぼの様子をちょくちょく見に来る約束をして帰路につきました。

話を聞いた人:

吉田辰巳(ヨシダタツミ)

1989年07月31日生まれ。紫波町出身。

高校卒業後は千葉県の鉄鋼関連の会社へ就職。

10年ほど勤めた後、Uターンで親元就農。稲作と和牛繁殖に取り組んでいる。

3児(9歳、7歳、5歳)の父。

 

 

記事を書いた人:

伊東唯(イトウユイ)

1986124日生まれ。秋田県能代市出身。

日本酒スペシャリスト・発酵食品ソムリエを取得。2児の母。

酒まわりに感度が高すぎて、酒のまちカメラマンになりつつある。

本記事の写真撮影も担当。

酒をつぶやくTwitterhttps://twitter.com/saca_a

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